ぼうしくんはお腹の中にいるときから成長がゆっくりで、成長曲線は平均値の3分の2くらいの値をキープしたまま、平成25年の秋に1584gで生まれました。

生まれてから8歳の今に至るまでの様子をざっくりお話しすると・・・

生まれて最初の2週間のはNICU(新生児集中治療室)に入っていて、そのあとの3か月はGCU(回復治療室)で過ごしました。

染色体異常が原因で先天性の心疾患があります。

その他にも、背骨と口腔内に疾患があります。小さいころから身体機能はあまり変わらない気がします。

首は徐々に座ってきてるけど、でも90パーセントくらいで完全ではない感じです。

手足はバタバタ動かせるけど手で何かをグッと握ったり、歩いたりはできません。

聴力は小さな物音でも反応するので良さそうですが、視力はどれくらい見えてるのか全くわからなくて、明暗はわかってる様子だけど、追視(動くものを目で追いかける)はしない、という感じです。

声はよく出します。喃語みたいなかんじで「う~ん」「あ~あ~」と声を出して、暑い~、おむつ替えて~と不快なことを知らせてくれます。

表情は、喜怒哀楽のうち「怒」と「楽」が得意です。

歯みがきが嫌いなので口元を触るとググッと眉間にしわを寄せたり、お風呂に入っているときの顔は「最高~♡」の表情をしてます。

食事は全介助です。(生後6か月の幼児にごはんを食べさせる感じ。)生まれた時から、食事はお口からと経鼻カテーテルの経管栄養からでとっていました。

必要な食事量のすべてを自力でお口から食べるのはむつかしくて(全部食べられるときもありますが)、ごはんどきに眠っていたりてんかん発作が起きて疲れてしまっている場合は、食べきれない分をカテーテルからあげます。

1年前の2年生の春に、念願の胃ろうの手術をしました。

経鼻カテーテルの生活は、ぼうしくんも親も大変なことが多かったです。

ぼうしくんにとっては、鼻にカテーテルが入っていることで鼻の中や喉に異物感があっただろうし、食事も飲み込みづらかったと思います。

あとは、10日ごとのカテーテル交換をすごく嫌がりました。

インフルエンザの検査で鼻の奥深くに綿棒を入れるときのような感覚だと思います。

これは交換する親も辛くて、眠っているときにそうっと交換するようにしていました。


1歳のときの体重は6000g、2歳で6500g、少しずつ少しずつ大きくなっていきました。

ずっと体が小さかったから「一寸法師」みたいだなぁと思い「ぼうしくん」と呼ぶようになって、今もそう呼んでいます。

1年生で12㎏になり、胃ろうにしてからはさらに増えて2年生で14㎏、3年生の今は15㎏になりました。

持病もあって、低体重で生まれて、風邪をこじらせては毎冬入院していたのに、今では身体も大きくなって、ここ2~3年は入院もしなくなって、支援学校に通えるほどの体力がついた。

ぼうしくんを育てる日々は、人間の生命力のすごさを目の当たりにする日々です。


この8年間、ぼうしくんを育てていく中で出会うことができた人たちがいます。

同じように障がいのあるお子さんを育てている親御さんたちです。

ぼうしくんが通っていた、日中の預かり(日帰りのショートステイ)や療育の保育園、支援学校で知り合いました。

お子さんたちの年齢は幅広くて、ぼうしくんと年が近いお子さんもいれば、高校生や二十歳を超えたお子さんもいます。

ぼうしくんのような身体障がいの方や、知的障がいの方、発達障がいの方と障がいもさまざまです。

大きいお子さんをお持ちのお母さんの子育ての経験を聞くと、15年前に比べて今は障がい福祉のサービスが進んできているんだと感じます。

実際、市内の公立幼稚園で(一番規模が大きい園のみ)今年度から「医療ケア児」の受け入れが始まりました。


乙武洋匡(おとたけ ひろただ)さんの著書『五体不満足』の中に「障がいがあることは不便だけど不幸ではない。」ということばがあります。

これを読んで本当にそうだと思いました。身近に障がいを持つ人がいない方に、こういう思いで障がいの方やその家族の方に接してもらえるといいんじゃないかなぁと思います。


私自身、ぼうしくんが生まれて他の障がいのお子さんに会う機会が増えたとき、どこまで踏み込んで話していいのか迷い、関われずにいました。

でも先輩のお母さんの方から話しかけてくださり、いろいろ教えてもらったり困っていることを相談したりできるようになりました。

障がいのある子どもを育てることは実際大変なことが多いです。

これから生まれてくる障がいの子どもやその親御さんが、子育てをしていく環境が少しでも良くなるように、私も親御さんに声をかけたり、市や県の福祉サービスに対して改善してほしいことを親の立場から伝えていきたいと思っています。